「This is 読売」12月号の「誌上実験」には、
(1)原テキスト=「尾花集」所収(明治25年10月、嵩山堂出版刊)
とあるから、「尾花集」の初版か、その複刻によったものと考えられる。
複刻は、新選名著複刻全集近代文学館として刊行されている。(800円程度で入手可。)この近代文学館の複刻を《複刻》とし、「This is 読売」の(1)原テキストを 《原テキスト》として、その相違点をまとめると次のようになる。
次の例も参考になろう。
現代では片仮名繰返し記号の「ヽ」を平仮名文中で使う実態を無視。
この項、 山本太郎氏のご教示により追加。11月20日付け私信から、関係箇所を以下に引用。
今、This is 読売が手元に無いので、確認できないのですが、現在の印刷物、特に雑誌や商業印刷物などでは、モノルビ(単字ルビ)は中心付きにする例が多く見られます。組版装置上では、肩付きでも中心付きでもどちらも可能ですが、商業印刷での中心付き多用の傾向は光学式写植機や写植をベースにした組版装置が普及したことと関係があるかも知れません。
この点も模刻と原本の差異のチェックポイントになるはずです。おそらく、原 本は活字なので肩付きにしていると思いますから。
以上の結果は「あれは……あれは粗雑な実験の光だ」(ニフティでの菊石氏の発言) を実証するものである。
従来、「出来るだけ原本に忠実に翻刻した」という表現をしていたが、それを「原テキスト」と呼ぶことは断じてない。こうした翻刻本文を「原テキスト」と呼ぶのは欺瞞以外のなにものでもない。そればかりか、まっとうな文学研究者・言語研究者にとって、非常に迷惑である。
原本の文字・表記を論じるなら、原本かその写真覆製によらなければ、研究として 認められない。
原本の雰囲気を伝えるために旧字体と歴史的仮名遣等を使うなら、その時は、「出来るだけ原本に忠実に翻刻した」等と表現するのが、文学・語学研究者の常識である。
「原テキスト」の再現に名を借りた、文学・語学研究に対する曲解に強く抗議する。
1998年11月20日 池田証寿
「This is 読売」12月号の誌上実験に関しては、ニフティサーブの歴史フォーラム第18番会議室「文字/辞書/SOFT/HARD】パソコン人文学」において、7034番の菊石さんの「あれは……あれは粗雑な実験の光だ。」を皮切りに、種々の意見が出された。そこでの意見のうち、重要な点で、上の拙文に書いていないことを補足しておきたい。
誌上実験「五重塔」は凸版印刷による印刷システムであること。
つまり、《原テキスト》は、凸版印刷による印刷であり、その組版システムの制限をあらかじめ受けているということである。漢字字体とそのデザイン、振り仮名の位置、変体仮名の作字など、それらの制限のもとになされたことは明白である。
誌上実験「五重塔」が出来る限り原典に忠実に翻刻した等の注記があれば、さして批判するに当たらないのであるが、原典からかなり隔たったものを《原テキスト》と称し、それに基づいて、JIS漢字の不備をあげつらうという手続きはどう考えてもまっとうなものではない。
また、「3)ゲタ文字をJIS漢字内新字体等で代用した「五重塔」幸田露伴」 について、
〓としたのは3字だが、このうち(18)と(23)の2字は、新JIS漢字拡張として現在公開レビュー中の資料に見える。残りの(21)の1字は、睥睨の「睥」の異体だから、「JIS漢字内新字体等で代用」して差し支えない。「露伴全集第五巻」(岩波書店、昭26.3)では「睥」に作っている。(憶測だが、「睥」と「〓」は極僅かな差であり、嵩山堂出版本を印刷した印刷所には、「〓」しか用意していなかったのかもしない。)
少なくとも今回の新JIS漢字の拡張において、3)のレベルであれば、〓は存在しない。
のように書いておいたところ、7111番の花關索/永瀬唯さんの調査報告により、「五重塔」初出の新聞「國會」版では「睥」に作っていることが確認された。私は新聞「國會」版を未見であるが、私の「憶測」はほぼ実証されたようである。
以上二点、重要な指摘であるのでここに記しておくこととする。(この他、上で指摘しなかった異同箇所も諸氏の指摘により明らかにされているが、《原テキスト》の質の程度を論ずるには、上の例で十分だと思うので、ここでは省略する。)