文字(特に漢字)をめぐる話題に関してちょっと気になることをメモしておく。
WWW、各種の書籍・雑誌・新聞などを材料にする。備忘が目的なので、網羅的 にするのは意図していない。ページの名称のヒントはこちら。
いわば自分たちのしてきた事へ「悪意に満ちた」と言える悪質の誤解で「マスコミ煽り」をしている人たちへ、激しい抗議を軸にした文章だった。悪質の誤解なる四箇条がこう掲げてある。(略)少なくもこんな事に関連してマスコミで発言してきたことは、私には一度も無かった、そんな機会もなく気もなかったと信じているから、「ユニコード」なるものへの知識すら今なお必ずしも十分でないくらいだから、この四箇条の誤解も抗議も、何ら私には触れあいようも無い。その意味では拍子抜けのした話であった。松岡氏の反論は直接秦氏に及ぶものでないことはもちろんだが、だがしかしである。文藝家協会から国語審議会への要望書が出されたのは、平成9年10月13日のこと、この方面に少しでも関心のあるものなら誰でも知っている。秦氏はペンクラブの要職にある方。文藝家協会とは別組織とはいいながら、世間的には作家、文筆家を代表する方である。「私には触れあいようも無い」との発言は、確かに率直な感想としか取りようがないものだが、それにしても文藝家協会の「要望書」の《圧力》はそれなりの影響を社会に与えた事実があり、そうした中で松岡氏の反論もなされたのである。松岡氏の論の是非はおくとして、秦氏の状況認識は記録に値すると思うので、ここに書き付けておく。
もっとも、別の箇所(「所感 松岡榮志さんに。」)では、
去年一月の文芸家協会のシンポジウムも、「文字コード」の何かも分かっていない人の立場で出よという人選に応じたわけで、それ以降ペンクラブに電子メディアの会を作ったのも、これから勉強、それも著作権関連の勉強を急がねばと私などは思っていたぐらいです。
と書かれている。この手の弁明は生産的でなく、個人的には好きでない。
「所感 松岡榮志さんに。」では
あなたは「普通の日本人には一万字以上は必要でないことは自明」と書き、もう一つの文章にも、大きな字で、「ふつうの日本人には漢字が一万字あれば十分」と強調しています。
松岡氏のいう「一万字」「ふつうの日本人」の根拠を問いただしている。この「もじれたページ」に引いた白川静氏の「漢字百話」(中公新書500)に「必要な文字の実数は、大体八千字程度とみてよい」とあり、小型の漢和辞典(新字源や漢語林)は約一万字の所収字数であるから、松岡氏のいう「一万字」はそれなりに妥当な線であると思う。
ただ、そのあとの「ふつうの日本人」の議論はなかなか面白く、こういった議論が文字コード関係の委員会でなされ、そのやりとりが何らかな形で公開されるのを期待するものである。
松岡氏の考え方は、コンピュータは漢字を変えるか?で見ることができる。 ISO 10646の漢字20,902字ついては、
1.使用目的に即して、「基本漢字セット(BUCS)」と「専門漢字セット(SPUCS)」に分ける。
2.各国の「基本文字セット」を統合し、代表字に対する異体字関係を明確にする。
3.「専門漢字セット」を選定する。
という考えをするようである。
平野啓一郎氏の「日蝕」にも触れている。
未来から来たような若い作家最新の芥川賞作品の漢字も、よく調べてみたいものです。これはざっと調べてみました。現行JIS X 0208:1997で表現できない漢字は17字。 この17字はすべてJIS X 0212-1990補助漢字に収められている。現在公開レビュー中の新JIS漢字(第3・4水準)では15字が追加候補、1字が要調査分にあり、残り1字はレビュー資料に見えない。公開レビュー資料に見えない1字を追加すれば「日蝕」の漢字はすべて表現できることになる。【1999年2月17日追記】1字見落としていた。補助漢字にあり、新JIS漢字(第3・4水準)の要調査分に入っている例であった。
『玉篇』に収める一万六九一七字には、顧野王がその出典や訓詁を示し、みずからの考説をも加えたものであるが、その後の字書には、出典もあきらかでないような文字がみだりに増加し、字数は休止するところなく加えられてゆく。宋の『広韻』には二万六一九四字、明の『字彙(じい)』には三万三一七九字、清の『康煕(こうき)字典』に至っては四二一七四字という、全く意味のない字数の増加を示している。諸橋氏の『大漢和辞典』は文字番号によると四万八九〇二字と最多字数を誇っているが、その三分の二はほとんど用例もない不要の文字であり、また残りの半数も使用例のきわめて乏しいものである。必要な文字の実数は、大体八千字程度とみてよい。そのことは、主要な古典の使用字数からも、大体の見当をつけることができるのである。(164〜165ページ)
「これは『黒死館殺人事件』です。出鱈目に開いたページの一節を仮名入力で打ってみます」
(略)
茂夫は思わず唸った。
「凄い……」
「でしょう? ルビ機能もこんなに充実しています。わたくしどもの自信作……ペダンチック・ミステリ創作専用ワープロ。その名も『虫太郎』です」(144〜146ページ)
これだけの引用では何のことかよく分からないかも知れない。『黒死館殺人事件』の一節をかなり長くべたで仮名入力し、一発で変換できててしまうという場面、といえばある程度想像できようか。
この「登竜門が多すぎる」の内容は実に面白く、もっと引用したいところだが、部分的に抜き出しては原文の面白さが激減する。是非とも原文を読んでいただきたい。
この文章が発表されたのは1990年。補助漢字(X0212)制定の年であった。「(推理)小説」という表現の持つ枠組み、さらには今日の文字コード問題とを、いわば直感的楽観的に予感した作品として記憶すべきもの。
【1998年12月23日】巻末に附載された「てんとう虫コミックス」の広告中に、JIS漢字第3・第4水準(公開レビュー)漢字一覧(案)の46-5-1に掲げられた漢字が見える。「岸」の「山」を偏に持ってきた字で、「岸」の異体字である。青山剛昌「名探偵コナン」の特別編は未確認。
【1998年12月24日】名探偵コナン コミックス インプレッションのページ「特別編1」では「原作者青山剛昌さんのアシスタントである山岸栄一さんが描く、もうひとつの「名探偵コナン」とある。「山岸さんの岸の字体は違いますが、漢字コードにないため代用しています。あしからずご了承ください。」との断り書きがある。