何かと批判の多いJIS漢字(JIS X 0208:1997)の包摂規準であるが、 このたびその一部が公開された東大明朝(GT明朝)を見ると、その一部に JISの包摂規準と同様の字体認識が認められる。池田の誤認もあるやに思量されるので、 両者を照合した結果を述べてみたい。
近刊の平凡社編『電脳文化と漢字のゆくえ 岐路に立つ日本語』(平凡社、1998年1月28日、四六版303ページ、ISBN4-582-40322-0、1900円[税別])に掲載された 田村毅氏の「漢字六万四千字フォントセット公開に向けて」に東大明朝の一部約100字ほどが一覧されている。同書の196ページに「齒」部の後半49字、「龍」部28字、「龜」部の前半10字、計97字である。
諸橋轍次編『大漢和辞典』(大修館書店、1971[昭和46]年5月1日発行の縮写版第三刷による)と比較した結果は次の通りである。
上に見るように諸橋『大漢和辞典』と共通するものがほとんどであり、配列順も 諸橋『大漢和辞典』と同様である。
諸橋『大漢和辞典』に見えるのに東大明朝に見えないのは「龍」を四つ並べた字である。
龍龍 龍龍
音テツ、多言の意。総画数64画。画数の多い漢字の例としてしばしば話題になる。 東大明朝で該当の位置は空白であるが、下に2677が付されている(以下、この数字を 東大明朝番号と呼ばせていただく)。不採録の理由は不明である。
左側が諸橋『大漢和辞典』の字形、右側が東大明朝の字形である。
JIS包摂規準の連番76は次のようになっている。
ちなみに、勝村哲也・丹羽正之両氏著『漢字典』を参照すると、 この部分字体は区別されている。JIS漢字の包摂規準だけが独自に別の部分字体 と認定しているわけではない。
左側が諸橋『大漢和辞典』の字形、右側が東大明朝の字形である。
諸橋『大漢和辞典』とは明らかに別字体と認められる。 なお、これはJIS包摂規準の連番75にも関わる例でもある。 JIS包摂規準の連番75での字体差の着目点は、上に挙げた連番76と同じなので 例示は略す。
この他、字体差として取り上げるべきか、デザイン差として取り上げるべきか、一筋縄でいかない例もあるが(月、日を部分字体として持つ漢字など)、省略する。
諸橋『大漢和辞典』の字体に「忠実な」フォントセットが無償もしくは廉価で公開されればその学問的功績ははかりしれない。一方、その前提として字体とは何かについて共通の了解を得ておく必要があるのも確かである。
今回は、64000字のフォントセット中のわずか97字を見ただけあるから、これで全体を云々することは、もちろんできない。 せめて全体の1パーセント(640字)でも見ることができればもう少しJIS漢字の包摂規準との関連をはじめ、さまざまな点を検討することが可能となろう。
本題と関係ないことであるが、先に引用した 田村氏の文章に次のような記述がある。
例えば『平家物語』の貴重な手書き写本があるとする…(略)… 活字の時代には印刷所に無い活字を作らせてまでも、出来る限り忠実な 校訂版を作成したはずである。(191ページ)
高校の国語の教科書にも掲載され、よく知られた文章である「祇園精舎」の部分を 、岩波古典大系が底本とする龍谷大学本(写真版)で見ると、 (「祇」は煩瑣となるので説明略)「精舎」は常用漢字体(=JISの例示字形) と同じ字体になっている。 しかし、岩波古典大系本は旧字体(正字体)で印刷。 「出来る限り忠実」にするならここは常用漢字体でないといけない。 字体は旧字体(正字体)により、一部は原本に見える略字体も採用(たとえば原本に「仏」とあれば正字体「佛」にせず、「仏」として翻刻)、というのが校訂の方針で、 岩波古典大系では、だいたいこの方針が採られている。 岩波古典大系の『平家物語』は、少なくとも国文学、国語学の世界では、 権威ある校訂テキストとして利用されている。学術書、学術論文でこのテキストを 利用したため、研究の学問的価値が下がったという話は聞いたことがない。 国語学者が文字や表記を特に問題にするときは、直接原本なり写真覆製本を参照するように訓練されている。活字本の『平家物語』を根拠として、この書が作られた鎌倉時代の「精」「舎」の字体は、旧字体(正字体、康煕字典体)が用いられていた、などという論を立てる研究者はいない。また、それを認めるほど、国語学の世界は落ちぶれていない。
私の読み方が悪いせいなのだろうが、私には「出来る限り忠実な校訂版」の具体的イメージがわいてこない。どのような「校訂版」を意図されているのか、気になったので付記させていただいた。