図書寮本名義抄所引の「類音決」(「類」を含む)がいかなる書物である かについて最初に見解を示したのは、吉田金彦(一九五四)である(注1)。すなわ ち、「類音決」「類」なる書は、唐太原處士郭迻撰「新定一切経類音」であ り、「字形の異体を説き、書名の示すように字音を注記するのを主眼とした 一切経の音義書」であるとした。これに対し西原一幸(一九八八)は、「類 音決」は「字書・音義書などではなく、類似した字形の文字を弁別するため の字様の一種である」と異論を呈している。字様とは西原一幸(一九八四) によれば「字音や字形上の類似点を有するが故に錯誤に陥る可能性のある文 字を、同字・別字の区別にかかわりなく、広く弁別するために撰述された小 学書」である。干禄字書(唐・顔元孫撰)がその代表的な書物。
一方、池田証寿(一九九三)は、上田正(一九七二)が逸文ありと指摘し た可洪「新集蔵経音義隨函録」(後晋・天福五[940]年成)の後序に郭迻のも のが「蔵経音決」の一つとし挙げられていることなどから、字様の形式を持 つ一切経の音義書であろうという見解を述べた。果たして字様であることと、 一切経の音義書であることが同時に成り立つのか、この点は本稿の最後で述 べたいと思う。
また最近、これらの研究とは全く別に、高田時雄(一九九四)が発表され、 「義楚六帖」(後周・顕徳元年[954]成)や慧琳音義序文の記述等から、「類 音決」は「仏典に用いられる文字を部目に分けて音を注記した字書体のもの」 であり、唐初期の成立と述べている。
以上を踏まえて、「類音決」の書名、著者、内容などを事典風にまとめて みよう。
郭迻「新定一切経類音」(逸書) 【書名】円珍の「智証大師将来目録」に「新定一切経類音 八巻 郭迻撰」 とある。【別名】一切経類音(中算法華経釈文)、一切経類音決(悉曇輪略 図抄)、一切経類音訣(悉曇要訣)、経音類決(義楚六帖)、衆経音(紹興 重雕大蔵音)、郭迻音訣(通志藝文略)、類音決(図書寮本名義抄)、類音 (大乗理趣六波羅蜜経釈文)、類(図書寮本名義抄)。郭迻、郭氏と著者名 で引く場合もある(龍龕手鑑)。【巻数】八巻。【著者】慧琳音義の序文( 顧齊之「新収一切経音義序」開成五年[840])に「國初有沙門玄應及太原郭處 士並著音釋」とあり、唐初期の成立とされる。可洪「新集蔵経音義隨函録」 (後晋・天福五[940]年成)後序には「郭氏乃河東博士」とある。【内容解説】 「義楚六帖」(後周・顕徳元年[954]成)に「経音類決」の序文を引いて「約 部類有二百五十九部」とし、可洪「隨函録」後序で「蔵経音決」の一つとし て挙げて「或有統括眞俗。類例偏傍。但號經音。不聲來處。即郭迻及諸僧所 撰者也」と述べる。これらの記述により、二百五十九の部からなる字書体の 一切経の音義であって、字体の正俗をまとめ、偏傍により類別し、音注を施 した書と推定される。字体の正俗や音注を注記する体例は、その逸文によっ ても確認できる。また、西原一幸は、類似した字形を連接する掲出字配列や 「正・通・俗」の注記のしかたから、「類音決」は一切経の音義書などでは なく、類似した字形の文字を弁別するための字様の一種であろうと述べてい る。しかし、可洪「隨函録」に「蔵経音決」の一つとして郭迻の書が挙げら れているし、字書体の一切経の音義は他にも存するから、「類音決」は一切 経の音義書でないと断言するのは躊躇される。その組織(部立てや部の配列) の詳細は不明である。逸文の収集とその組織についての解明とが期待される。
「類音決」は各種の事典類の項目に採用されることもなく、これに注目す る研究者は少ない。そのせいもあって、逸文の収集は充分といえない。「類 音決」の内容や本邦古辞書への影響などを考察するためには、できるだけ多 くの逸文を収集することが不可欠である。各地の図書館や文庫、また古寺社 における文献調査において逸文が発見される可能性は決して低くないと思わ れる。今後、「類音決」の逸文が多く報告されることを期待して、いままで に逸文の存在が報告された文献を列記しておこう。中国文献、日本文献に分 けて、概ね時代順に示す。
西原(一九八八)が「類音決」の注文形式を比較的よく伝えているとした 例を次に掲げておこう。なお、印刷の都合上、割注部分は、〈〉に入れて表 示することにする。
類音決云拏〈正奴加反一〉帑〈正他朗反又音又妬反一〉孥〈正奴音一〉 妻拏〈奴胡反子也亦為帑字妻子也〉(因明大疏抄)
類音決云磺礦〈二合〉〈二或作皆古猛反銅鐵璞〉(秘蔵宝鑰抄)
橋本不美男(一九五一)に示される「類音決」の引用数は一五四条である。 一方、西原(一九八八)は、一四七条と数えている(何れも中算からの孫引 きを除く)。池田が確認したところでは、橋本は、四二7、四六3、四六6、 四六7、五〇2、五六6、一四一6の七条を落としている。さらに、「又」 とあるが、前後の関係から「類音決」によることが確実な例が三条ある(五 3、五八3、三〇〇2)。これらを含めて、「類音決」の引用は、一六四条 が認められる。ただし、同一の字について、「類云」が二箇所見える場合が 三例ある。
沫泡〈上類云末音…類云又武太反衛邑也借音火毎反洗面也〉(図書寮本水部、八1)
慾〈類云欲音…類云出字林〉(心部、二六六6)
緤〈類云俗・又云紲―二正先結反黒縄〉(糸部、三〇〇2)
これらを調整すれば、「類音決」からの引用は一六一条となる。
図書寮本名義抄の引用文献は約一三〇種の多きにのぼるといわれているが (吉田一九五五)、頻度数三〇〇以上の出典は、次の八出典に過ぎない。す なわち、頻度数の多い順に挙げれば玄応撰「一切経音義」・「玉篇」・「篆 隷万象名義」・真興撰「大般若経音訓」・源順撰「倭名類聚抄」・「東宮切 韻」・中算撰「妙法蓮華経釈文」・慈恩撰書である。これら主要八出典に関 しては、宮澤俊雅(一九七七、一九九二)等の論考において、精細な分析が 行われている。そこでは、図書寮本撰者がそれらの出典をどの程度まで採録 する方針であったのか、また同じ内容の注文が各出典にある場合に、採録の 序列をどのようにしていたかが考察されており、主要八出典の採録の序列は、
慈恩撰書・篆隷万象名義・玄応音義・法華釈文・大般若経音訓・玉篇・ 東宮切韻・和名抄(一部推定)
であったと推定されている(関係の論文は、宮澤俊雅一九九二を参照)。
では、主要八出典以外で比較的引用頻度の高い出典はどのようなものがあ るであろうか。片仮名訓の出典を除き、頻度数一〇〇以上のものを挙げると、 次の通りである(片仮名訓の出典では、「詩」(毛詩)約一七〇条、「巽」 (文選)約一六〇条、「集」(白氏文集)約一四〇条、「記」(史記)約一 〇〇条が多い)。
類音決 | 一六一条 |
蒋魴切韻 | 一六一条 |
季綱切韻 | 一四九条 |
干禄字書 | 一四四条 |
信行撰書 | 一三二条 |
大般若経字抄 | 一〇五条 |
これによれば、「類音決」は、片仮名和訓を除いた図書寮本の出典の頻度 数として第九位に位置する。蒋魴切韻も同じく一六一条で、第九位である。 もっとも、出典の数え仕方によって数値は変るから、第九位なのか第十位な のかはあまり意味が無い。重要なのは「類音決」が主要八出典に次ぐ頻度数 を占めるということである。蒋魴切韻には、正俗等で字体を弁じた注が三〇 条程度あり、この点は「類音決」に正俗の注記がある点とあわせて注意され る。
洮汰〈…〉〈魴曰俗〉(図書寮本、二七2)
漩〈魴曰水洄流。平去。〉〈又云古〉(同、三四1)
緬〈類云愐音…〉〓〈方云正文〉(同、二九三3)
次に宮澤俊雅(一九七七)を始めとする宮澤の一連の論考に示された方法 を参考にして、図書寮本撰者は、「類音決」をどの程度採録する方針であっ たのか、また他の出典との採録の序列はどのようになっているかについて検 討してみよう。ただし、「類音決」は現存せず、逸文のみ伝わる。そこで、 図書寮本名義抄に存する十七部首(水冫言足立豆卜山石玉邑阜土心巾糸衣) に所属すると考えられる漢字を逸文から抜出して図書寮本と比較することに しよう。現段階で比較出来たのは、四一字である。この四一字の逸文を載せ る文献と図書寮本十七部首との対応を整理すると次のようになる。
可洪隨函録 | 龍龕手鑑 | 六波羅釈文 | 秘蔵宝鑰抄 | 因明大疏抄 | 合計 | |
水 | 0/2 | 0/2 | 2/2 | 2/6 | ||
冫 | 0/0 | |||||
言 | 0/1 | 0/3 | 2/2 | 2/6 | ||
足 | 2/4 | 2/4 | ||||
立 | 0/1 | 0/1 | ||||
豆 | 0/1 | 0/1 | ||||
卜 | 0/0 | |||||
山 | 0/1 | 0/1 | ||||
石 | 1/1 | 1/1 | 2/2 | |||
玉 | 0/1 | 0/1 | 0/2 | |||
邑 | 0/3 | 0/3 | ||||
阜 | 0/1 | 0/2 | 0/3 | |||
土 | 1/1 | 0/1 | 1/2 | |||
心 | 2/4 | 2/4 | ||||
巾 | 1/1 | 1/1 | ||||
糸 | 0/1 | 1/3 | 1/1 | 2/5 | ||
衣 | 0/0 | |||||
合計 | 6/19 | 1/14 | 5/6 | 1/1 | 1/1 | 14/41 |
可洪隨函録は可洪の新集蔵経音義隨函録、六波羅釈文は大乗理趣六波羅蜜経釈文の略。可洪隨函録は、大日本校訂大蔵経所収の高麗本により、全三十冊のうち第一冊から第六冊まで調査した。龍龕手鑑以下は全体を調査した。
この表の見方を説明しよう。図書寮本水部、可洪隨函録の欄に「0/2」 とあるのは、隨函録に水部所属と考えられる字が二字あり、その二字が図書 寮本では掲出字に見えないということである。同じく図書寮本水部、六波羅 釈文は「2/2」とあるがこれは、六波羅釈文に水部所属と考えられる字が 二字あり、その二字とも図書寮本では掲出字に見えるということである。合 計の欄に目を転じると、「14/41」とあり、図書寮本の十七部首に対応する 「類音決」逸文は四一字拾うことが出来るが、そのうちの十四字が図書寮本 の掲出字に見えるという結果であった。したがって、図書寮本撰者は「類音 決」の掲出字を全採する方針ではないことが明らかである。図書寮本に掲出 字が見えない「類音決」逸文を以下に掲げる。注文は必要部分のみ掲げる。
1 | 骨琑〈郭氏音消〉(行瑫隨函録第一冊、1ウ6) |
骨琑〈郭氏音消非也〉(同第六冊、81オ12) | |
2 | 須〈郭迻音武非〉(同第二冊、15ウ4) |
須〈郭迻音武非〉(同第四冊、49ウ15) | |
3 | 末〈郭氏音囚非〉(同第二冊、28ウ10) |
4 | 上〈郭氏音垂又而渉反並非也〉(同、26オ10) |
以〈郭氏作而渉反又音垂並非〉(同第六冊、83オ7) | |
5 | 濘〈郭氏作郎頭反亦非也〉(同第二冊、30ウ7) |
頻〈郭氏作郎侯反亦非也〉(同、31ウ7) | |
6 | 隷〈郭氏音・非也〉(同、31オ13) |
7 | 汙〈郭氏作他盖反非也〉(同第三冊、39ウ7) |
8 | 忮〈下又郭氏音・非也〉(同第四冊、47オ12) |
9 | 嶮峪〈下又郭氏音路非也〉(同、50オ11) |
10 | 〈又苦狗反郭氏作古后反並非〉(同第五冊、59オ13) |
11 | 幢〈郭氏音諱非也〉(同、59ウ9) |
12 | 賁〈下音沙正作砂又郭氏音抄或作・初孝反〉(同第六冊、77オ6) |
13 | 披〈郭氏作敬宜反〉(同、77オ7) |
14 | 〈郭迻俗子邪則何二反〉(龍龕手鑑、言部) |
15 | 〈郭氏音悩〉(同) |
16 | 譃〈郭氏俗音虚〉(同) |
17 | 【に氵】〈郭氏又俗音羊祥二音〉(同、水部) |
18 | 滊〈郭迻又音深〉(同) |
19 | 〈郭迻又檢斂二音〉(同、阜部) |
20 | 〈郭迻又俗五交反〉(同) |
21 | 〈郭迻俗同緄音古本反〉(同、糸部) |
22 | 【糸+】〈郭迻又胡卦反〉(同) |
23 | 〈郭氏音川也〉(同、玉部) |
24 | 〈郭迻又隹晉二音也〉 |
25 | 〈郭迻俗丁礼反〉(同) |
26 | 郜〈郭迻又音浩〉(同、邑部) |
27 | 埠阜〈上類音丁回反高也〉(六波羅釈文、6) |
次に、図書寮本に掲出字が見える「類音決」逸文について、両者を対照し て掲げよう。
28 | 斫〈郭氏作子六反非也〉(行瑫隨函録第三冊、32ウ11) |
躚〈音秋仙〉(図書寮本足部、一一三7) | |
29 | 那〈郭氏音・非〉(行瑫隨函録、49オ8) |
頭〈广云又惹而者而斫佛刹名〉(図書寮本心部、二六五5) | |
30 | 恐〈郭音却非也〉(行瑫隨函録第四冊、50オ11) |
恐漩〈广云…巠作踰二非〉恐〈見上注〉(図書寮本心部、二六八7) | |
31 | 坵聚〈玉篇郭氏並音遲非也〉(行瑫隨函録第五冊、59オ8) |
坵墟〈義賓云上丘不反下…〉(図書寮本土部、二二九7) | |
32 | 碊發〈應和尚及郭迻經音並作仕限反亦非也〉(行瑫隨函録第五冊、65オ2) |
碊道〈川云士□…〉(図書寮本石部、一五六1) | |
33 | 飢〈經音義以・字替之丑家反郭氏作知格反並非〉(行瑫隨函録第六冊、77オ15) |
飢〈广云侘飢巠―非〉(図書寮本足部、一一七1) | |
34 | 〈郭迻又武悲反絆也〉(龍龕手鑑、糸部) |
囉〈广云尹賜反〉(図書寮本糸部、三一九6) | |
35 | 空〈類音辨俗辨為正皮免反〉(六波羅釈文、3) |
〈益云俗辯字〉(図書寮本言部、九八2) | |
36 | 洄澓〈上類音戸瓌反洄〉(六波羅釈文、5) |
洄澓〈广云扶福反洄水轉也…〉(図書寮本水部、三三5) | |
37 | 謗誣〈類音曰俗作・同〉(六波羅釈文、38) |
誣誷〈上弘…・真…・广…〉(図書寮本言部、八七2) | |
38 | 淤埿〈下類音曰奴犁反水名〉(六波羅釈文、42) |
埿泥〈干云上谷・中云奴低反…・玉云…・東云…(略)・宋云埿〈俗〉・文集…〉(図書寮本水部、三九3) | |
埿泥〈干云上谷〉(図書寮本土部、二二六7) | |
39 | 纔〈又類曰斉此音似来反猶僅能芳能也礼記亦為裁字或為財字〉(六波羅釈文、43) |
纔入〈季音衫…又音栽・广云…鄭玄注礼記作裁。東観漢記等作財…・憲云蔵代反…・真云…・玉云…然云…真云サイ〉(図書寮本糸部、三一〇3) | |
40 | 類音決云磺礦〈二合〉〈二或作皆古猛反銅鐵璞〉(秘蔵宝鑰抄) |
金磺〈广云古文孤猛反礦鐄銅鐵璞也。巠作人常金玉之地。侯猛又口盤反卝之言―。金玉未成器曰。両義大同。仍初體為正。・玉云強。〉(図書寮本石部、一五六7) | |
礦〈玉云同上・广云古猛反亦作鑛鐄也―璞也・東云金璞也金玉未成器也。亦磺。真云ウ〉(同、一五七2) | |
礦〈干云上通〉(同) | |
41 | 類音決云…帑〈正他朗反又音又妬反一〉(因明大疏抄) |
帑蔵〈广云湯朗反周成難字音蕩―金幤所蔵府也。〉(図書寮本巾部、二八六2) |
一見して明らかなように、「類音決」の注文を採用する図書寮本の例は見 えないのである。これによって、図書寮本撰者は「類音決」の掲出字及びそ の注文を全載していないと結論できる。ただし、他の出典との採録の序列に ついては、例が少なく、結論めいたことをいうことはできない。
ところで、図書寮本の各部首ごとに「類音決」の引用頻度を集計してみる と次のようになる。一番下の数字は、各部首ごとの掲出項を単字単位に分解 して異なりの字数を出したものである(概算)。
引用頻度 | 掲出字数 | |
水部 | 四〇 | 三八七 |
冫部 | 〇 | 二六 |
言部 | 二二 | 二八〇 |
足部 | 九 | 一三七 |
立部 | 一 | 二三 |
豆部 | 三 | 一二 |
卜部 | 一 | 二八 |
山部 | 九 | 九一 |
石部 | 〇 | 九三 |
玉部 | 三 | 一〇五 |
邑部 | 二 | 四七 |
阜部 | 八 | 八一 |
土部 | 七 | 一四七 |
心部 | 二一 | 二八七 |
巾部 | 二 | 五〇 |
糸部 | 二七 | 二二三 |
衣部 | 九 | 一一三 |
例えば図書寮本の石部に「類音決」からの引用は認められない。しかし、 前掲の「礦」の「類音決」逸文の存在から、「類音決」に石部が存在しない ということは考えられない。とすれば、図書寮本名義抄の撰者は、「類音決」 をいまだ全面的に参照していなかったと考えざるを得ない。このことは、結 局のところ、図書寮本名義抄撰者が「類音決」をそれほど重視していなかっ たことを示すと考えられる。
「類音決」の著者である郭迻は、「太原郭處士」(慧琳音義)や「郭氏乃 河東博士」(可洪隨函録)の記述から、僧籍にないことが明らかである。図 書寮本では、慈恩、空海、玄応、中算、真興の撰述した仏書を優先して採録 している。「類音決」が一切経に関係する書であるにもかかわらず、主要八 出典よりも重視されなかったのは郭迻が僧籍にないからであろう。
しかし、次の点から図書寮本と「類音決」とは密接な関係があったのでは ないかと考える。すなわち、図書寮本には、観智院本ほど明瞭ではないもの の、明白に各部首内の字順に「類似字形配列」を見て取ることができる点で ある(注2)。「類音決」が字様であるか、一切経の音義書であるかという問題は後 で述べるとして、これが部首分類体の字書の体裁をとっており、漢字の正俗 を記した書であることは異論の出ないところである。図書寮本の「類似字形 配列」が撰者の独創でなく何かの出典をヒントにしたとするなら、その出典 は当然部首分類体の字書であろうし、それは玉篇の系統でない字書である。 図書寮本に引かれた字書の中で玉篇の系統でない字書で、引用頻度が高いの は「類音決」であり、これ以外に該当しそうな出典は見当たらないのである。
図書寮本名義抄撰者が、「類音決」をそれほど重視していないといっても、 それは基本的に注文のレベルでのことである。掲出字の配列は注文の序列と は別に、その方針や典拠とする文献を検討して行く必要があろう。類聚名義 抄の構成を考える上で、「類音決」は鍵となる文献とも見られ、その逸文の 収集と両者の関係についての考察が望まれるのである。
「類音決」は、一切経の音義書(吉田一九五四)なのだろうか、それとも 字様(西原一九八八)なのだろうか。
この問題を考えるために、図書寮本名義抄の「類音決」の引用を、その内 容によって分類して見よう。分類基準は、西原(一九八八)を参考にして、 少し手を加えた(dとeの部分)。例は、「類音決」の引用のみ示す。
この分類で目立つのは、(a―1)類音注の例が多い点である。これは、 一つには図書寮本類聚名義抄が反切よりも類音注を優先する方針であったこ とが関係していよう(小松一九七一、宮澤一九七七)。もう一つの原因とし ては、「類音決」が「類音」の注を主体としていると見られることが関係し ているであろう。「類音決」の書名に見える「類音」は、音注形式に「類音 注」を多くとっていることを暗示している。
図書寮本名義抄では、「類音決」から字体の注記を引用することは多くな いのであるが、これは前述したように図書寮本名義抄における出典の採録序 列が関係しているものと考えられる。図書寮本名義抄撰者の参照した「類音 決」に字体注が少なかったという事情は考えられない。
問題は、「類音決」が一切経の音義書なのか、字様なのかという点である。
「類音決」が一切経の音義書であるとする根拠は何であろうか。まず「類 音決」が一切経に関係する書であることは、「新定一切経類音」(円珍の「 智証大師将来目録」)という書名から明白である。そしてこれが音義書であ ることは、慧琳音義の序文の記述や可洪隨函録の後序の記述に見えることか ら、少なくとも慧琳音義序文の著者顧齊之や可洪が郭迻の書を音義書と見て いたのは否定できないであろう。また、音義書といっても、それを巻音義の 形態(隨函の形態)に限定して考える必要はないであろう(高田一九九四)。
一方、「類音決」が字様であるとする根拠は何であろうか。まず、字様と は何であるかについて論じた西原(一九八四)の結論を引用しておこう。
一、字様は錯誤に至る可能性のある文字を広く弁別するために撰述された書物である。
二、字様は従来知られていた書誌形態上のどのカテゴリーにも属さない、それ自身独立したカテゴリーとなるものである。
三、従来、字書として扱われてきた『干禄字書』『五経文字』『新加九経字様』は字書ではなく、字書型の字様といういうべきものである。
「類音決」が字様かどうかという点に関して問題になるのは、そもそも字 様なる書誌範疇が従来は知られていなかったという点である。したがって、 慧琳音義序文の著者顧齊之や隨函録の著者可洪が字様なる概念を知らなかっ たということが考えられる(注3)。一方、「新加九経字様」のように字様と名の付 く書物が存在することや、「干禄字書」や「五経文字」が別名「干禄字様」 「五経字様」と呼ばれていたことからすれば、字様なる概念をよく理解する グループもあったと考えねばならない。郭迻が字様なる概念を正しく理解せ ずに、一切経の字様を作成することは有り得ないことであるから、郭迻が字 様なる概念を理解していないのであれば、「類音決」は字様ではないと結論 できる。しかし、郭迻が字様なる概念をどう理解していたかはよく分からな い。
次に、西原が「類音決」を字様とする根拠は何か。西原(一九八九)に西 原(一九八八)の要約が見えるので、これを引こう。
図書寮本『類聚名義抄』・『因明大疏抄』・『秘蔵宝鑰抄』所引の『類 音決』佚文を検討して推定される『類音決』は、
- (1)標字配列は、類形別字(例えば拏〔音ダ、義トル・モツ〕/帑〔音ド、義妻・コ〕)や類形同字(例えば帑〔音ド、義妻・コ〕/孥〔同上〕のような異体字)などの、字形の類似する文字を連接する
- (2)注文の形態は、通常の字書・音義書などが、纏まった、しかも比較的長い注文の形態を有しているのに対して、短い音注や義注がまちまちに記されている
- (3)音注・義注などと混用されない「正・通・俗」などの字体・字形注記を有する
という形態的特徴を有し、その撰述目的は、
- (4)漢字字形の弁別に関係していた蓋然性の大きい文献であった
と推定される。このような形態的特徴は、
- (一)現存する敦煌出土『S、388字様』のそれと一致し、
- (二)且つ(1)(2)(3)のごとき特徴、わけても(1)のごとき標字配列の形態は、 類似した字形の文字を弁別するという撰述目的から必然的に生ずる字 様固有の形態である。
以上の諸点から、『類音決』は音義書ではなく、字様であったと推定される。
「類音決」が字様であるとする根拠としてもっとも西原が重視しているの は、(1)に指摘されるような標字配列の形態である。これは次の点で少々問題 がある。
第一は、類形別字を連接した標字配列が見えるとする「因明大疏抄」所引 の「類音決」逸文の本文が本来の標字形式を伝えているかどうか、問題があ るという点である。
類音決云拏〈正奴加反一〉帑〈正他朗反又音又妬反一〉孥〈正奴音一〉 妻拏〈奴胡反子也亦為帑字妻子也〉
右の「妻拏」以下の注文は、「類音決」によるものではないと考える。そ の理由は、「亦為□字」の形式が玉篇に特徴的なものであることと、「妻」 は「玉云」の誤写、「拏」は「孥」の誤写と疑われることである(注4)。
「類音決」は「二百五十九」部からなり、部首分類を施していた書である ことが確実であるから、「手」「巾」「子」の各部は当然存したと考えられ る。とすれば、「拏」「帑」「孥」の各字は、それぞれ「手」部、「巾」部、 「子」部に所属していたことが予想される。右の逸文を書込んだ人物が「類 音決」の「手」部から「拏」を、同じく「巾」部から「帑」を、「子」部か ら「孥」を抜き書きした可能性を否定することができない。
もっとも高山寺本不動立印儀軌抄には、
一切経類音决云叱〈怒也〉喑嗚〈上於金反啼極无聲下於胡反歎辞也〉
と見えており、熟語だが、これを類形別字連接の例と見ることができる。た だし、これはいずれも口偏の字であり、「類音決」の「口」部に存在してい たと考えて問題ないものである。「類音決」が「二百五十九」部からなる部 首分類体の書であったことを考えると、「拏」「帑」「孥」を連接する配列 が「類音決」本来のものであるかどうか、問題が残るのである。もちろん、 類形別字を連接した標字配列がないとしても、そのことから直ちに「類音決」 は字様ではないと結論できるわけではない。異形同字(異体字)を連接した 標字配列は確かに「類音決」逸文中に見えるからである。しかし、実はこの 点も問題がある。
すなわち、類形別字や異形同字(異体字)を連接した標字配列は、音義書 の中にも見出せるという点である。これが第二の問題点である。例を引こう。
これらは、傍線部分が経文には見出せない(最後の例は、大乗理趣六波羅 蜜経の例)。類形別字を別項目にして連接しているのは新訳華厳経音義私記 の「脩」と「修」の例である。これ以外の例は、同一項目に類形別字を掲げ ている。同一項目に類形別字を掲げる例は、干禄字書にもあり、これに準じ てよいであろう。
次は、異形同字(異体字)を連接する標字配列の例。
これらは、音義書に字様的な注文が混入して、音義書が字様の性格を部分 的に持つことになった例であろう。こうした例の存在をもって「類音決」が 字様ではないと結論することはできない。しかし、前述のように西原(一九 八八)は「わけても(1)のごとき標字配列の形態は、類似した字形の文字を弁 別するという撰述目的から必然的に生ずる字様固有の形態である」と結論し ているが、音義書においても類似した字形の文字の弁別が問題となることは あり、その際に類形別字や異形同字(異体字)を同一項目としたり別項目と して連接したりすることがあるのである(注7)。
「類音決」は、二五九部からなる部首分類体の書である。字書型の字様に は五経文字と新加九経字様があるが、前者は一六〇部、後者は七六部である。 部数の差が大きい。龍龕手鑑は二四二部からなる字書型の字様とされている が、これは「類音決」の二五九部に近い。山田健三(一九九五)は、龍龕手 鑑に関して「一応「字様」のジャンルとして分類したが、音引きであり、必 ずしも弁似のみを目的とはしていないので、かなり大きなものになっている が、これは例外で、他の字様は、全てコンパクトなサイズであったこと」を 指摘している。
「類音決」の所載の字数は不明であるが、一切経に関する書であること、 八巻二五九部という巻数と部数から推定してかなりの所載字数ではないかと 考えられる。参考までに記すと、二四二部からなる龍龕手鑑は約二万六千字 の所載字数である。五経文字は、一六〇部三二三五字、新加九経字様は七六 部四二一字である。当然のことながら、所載字数が少なければ部数も少ない。 また、前掲の例から分かるように、「類音決」逸文には難字が多く見えて いる。「類音決」に比較的よく使われる漢字を欠くということは考えにくい から、よく使われる漢字に加えて難字を多く収載していたのではないだろう か。もしそうとすれば、収載字数もかなり数になるのではないかと想像され る。
「類音決」が字様であるとするにしても、部数と所載字数に関して他の字 様と大きく異なっており、例外的な存在となる。また、部数と所載字数が多 くなれば、山田(一九九五)が龍龕手鑑について指摘したように、弁似だけ を目的としているとはいいにくくなろう。
結局、いえることは、「類音決」が一切経の音義書に属すると見ていた人 達が存在するということ(顧齊之、可洪、行瑫)、「類音決」の逸文に字様 に特徴的な本文形式が見えることである。そして、字様に特徴的な形式を部 分的に有する仏典の音義書が他にも存することから、本稿では、「類音決」 は字様の形式を持つ字書体の一切経の音義書であると結論しておきたい。部 数からの推定では、弁似だけを目的としているとはいいにくいことも付け加 えておく。
西原の一連の研究は、「字様」なるものの存在とその内容や歴史的変遷な どに関して多くの知見を我々に示している。しかし「字様は従来知られてい た書誌形態上のどのカテゴリーにも属さない、それ自身独立したカテゴリー となるものである」(西原一九八四)とすると、「字様」なる典籍上の概念 が知られていたのはどの時代なのか、また、どういうグループが「字様」な る概念を正確に理解していたのかが問題になるのではないだろうか。類聚名 義抄に即していえば、図書寮本名義抄の撰者が干禄字書や類音決をどのよう な書物と認識して利用したのか、という問題である。仏典(内典)関係の字 様には、龍龕手鑑があるが、これと漢籍(外典)関係の字様とはどういう違 いがあるのか。「類音決」が字様であるかどうかという問題に答えを出すに は、こうした点も合わせて考えなければならない。また、観智院本名義抄に ついて、龍龕手鑑のごとき字書との関係が指摘されているが(吉田一九五八、 貞苅一九八九)、これと「類音決」とはどのように関係するのか。さらに、 山田健三(一九九五)は、類聚名義抄の「一二〇という少ない部首数の実現 については、字様の影響がある」ことを指摘しており、私見によれば、観智 院本凡例に見える「依類者决也」は「依類音决也」の誤写ではないかとの見 方が可能である。類聚名義抄と「類音決」との関係については検討すべき点 が多いのである。本稿はそうした問題を提起するにとどまる。
〔付記〕本稿は、第七十一回訓点語学会研究発表会(一九九四年十月二十八 日、於山口大学会館ホール)での口頭発表から、その前半部分をもとにして まとめたものである。